自分の生きている価値って何だろう?生きる意味なんてない、もはや死にたい人へ

心臓、心電図

「きっと自分には生きてる価値などないのだろう」と私は考えるようになったのはいつからだろう。

自己啓発のブームもあり、「夢や目的、生きている価値、生きている意味」といった言葉を日常的に見かけるようになった人も多いでしょう。

改めてそういった「あなたの人生の目的は何ですか?」などといった問いかけをされると「そういえば何だろう」と頭を悩ます人や、「自分にはそんな目的も思いつかないよ」と自己嫌悪に陥ってしまう人もいるかもしれませんね。

書籍やセミナーなどから情報を得ると、人の生きている価値が当たり前のようにあるのだと語られています。

確かにどんな人にも共通する「その人の生きている価値や意味」は存在します。それは「生きているそれだけで価値がある」というものです。

今ここにある生を慈しみ、存在していること自体が生物として人間として価値があるということになります。

しかし、そんな禅問答のようなものをされても、しっくりこないという人も多いでしょう。

ここでは、自分が生きている価値や意味を見つけるための方法を一緒に見ていきます。

生きている価値・意味がないなら、いっそのこと死んでしまえばいい

「こんな人生辛い」「死んで生まれ変わりたい」「死んで何もかもゼロにしたい」そう考える方は多いかと思います。

私たちが死んだその先には何があるのでしょうか?地獄?天国?

そもそも何もなかったり、輪廻転生で生れ変り第2の人生を歩んでいたりするかもしれません。あるいは、魂だけがこの世に残り彷徨い続けるのかもしれませんね。

「死」という言葉に対して、人が持つイメージはそれぞれで、確実なものでありません。

「死ねば楽になる」という人がいます。確かに今の「生」の苦しみから逃げるには、「死」というものも1つの手段でしょう。安楽死というものもあるくらいですし。

しかし、その先にある「死」が本当に今よりも楽なんでしょうか。誰も死後の世界など分からない曖昧なものに頼っても、その先には今よりもさらに苦しいものが待ち受けているのかもしれません。

それよりも今、目の前にある現実を変えていくほうが、確実にあなた自身を救ってくれるでしょう。

あなた自身を助けることができるのは最終的に自分しかいません。誰が決めたのか分からない「死」に頼るのではなく、今ある命を慈しみ一緒によりよい「生」を得ていきましょう。

何のために生きているのか分からない

死ぬことをやめて生きてみようと少しでも心で思ったならば、それはもはや自分が生きている意味の半分を見つけたものです。

なぜなら、人間の生きている価値とは「生」そのものにあるからです。

例えば「あなたにとって、地球上で最も生きてる価値のある人間は誰ですか?」と聞かれた時、どう答えるでしょうか。

それはあなたの恋人かもしれませんし、親友かもしれませんし、家族などの身近な人を指名する人もいるでしょう。はたまた、総理大臣や天皇、億万長者や芸能人など誰もが知っている著名人をあげる人もいるでしょう。

何を持って生きている価値とするかは、人によって違い、そのどれもに優劣などつけられないのです。

そんな中で、私たち人間の生きる価値とは、今こうして息を吸って、食事をとり、活動していくという普遍的なものにあります。

道端にいる働きアリに「何のために生きているの?」と聞いたところで返事は来ないでしょうし、その足を止めてその場で「そういえば何だろう」と考え出したりしないでしょう。

彼らはそれでも食物連鎖の中で生物として、明日を生きるために今日を生きているのです。

地球の外側から見れば、私たち人間もアリと変わりないほどの豆粒です。その世界で私たちに共通する生きる価値とは「生きていることそのもの」にあります。

「自分なんて必要ない」そんなことはありません。あなたは今生きているだけでも十分な価値があるのです。

生きている価値には「自分からの価値」と「他人からの価値」がある

人が生きている価値には2種類あります。それは「他人から評価された自分」「自分でつけた自身の価値」です。

しかし、多くの人は自分の評価をつけるときにその基準を他人に委ねやすい傾向にあります。

なぜなら、自分で自身の価値を考える時間より、相手から自分どういった人間かを言われる機会が多く、また他人にどう見られているかを気にしやすいからです。

身近なもので言えば、普段着ている服には流行があり、そうしたトレンドを取り入れていないと時代に遅れていると気にする方が多いのがいい例でしょう。

私たちは普段の生活の多くの部分を、「相手がどう見るか」という視点で判断しているのです。

決して悪いことではありません。周囲に配慮するという点では素晴らしい心がけでしょう。

しかし、相手の一言で自分の全てを決めてしまってはいけないということを、心に留めておく必要があります。

他人の評価に自分の価値を委ねてはいけない

自分の存在価値を考え始めるタイミングは、他人に自分の価値を低く見られているという実感がある時がほとんどです。

思い返すと、親に嫌味を言われたり、上司から心無い声をかけられたりということはありませんか?そして、それが全てだと思い込んでいませんか?

現代を生きる私たちは、TVや雑誌、インターネット、SNSなどを通して日常生活のあらゆる場面で、他人と比較されることがあります。

世間で作られたレッテルはそうしたメディアを通して、瞬く間に広まります。すると、それがあたかも一般的な認識であるかのように思い、私たちの価値を形成していきます。

例えば少し前に「ゆとり世代」という言葉が流行しました。私はちょうどその世代にあたり、社会に出ればそのことで人から悪く評価されることが多くありました。

「ゆとり世代だからダメだな」と言われ、まるで自分の存在を全て否定されているような気分で、当時の私には自信など一欠片もありませんでした。

「もうダメだ。私なんて生きていても意味がない」と思い始めた時、私は仕事に行きづらくなっていて、その数ヶ月後には転職していたのです。

転職後、新しい職場にはもちろん新しい上司がつきます。私は「次は何て言われるんだろう」と内心ビクビクしながら新生活をスタートさせていったことを覚えています。

そんなある日、その上司から「若いのにしっかりしてるよね。すごく助かるよ」と言われました。今まで、「ゆとり世代だから」「若いから」といって否定されまくった私が初めて認められたのです。

その言葉は社交辞令などだったかもしれませんが、とにかく私の心は救われたのでした。そして、1つのことに気がついたのです。

他人から受ける評価に振り回されてはいけない、と。

外から見る自分はほんの一部でしかありません。人から「あなたは生きている価値もない」と言われても、それは「あなたに黄色の服は似合っていない」と言われているのと同じことです。

その人の中にある尺度で、あなたのほんの一部を評価しているのに過ぎません。

そんな他人からの価値に振り回されることはありません。人に言われたところを直すことは素晴らしいですが、大切なのは自分が自身をどう評価するかということです。

あなた自身のことを一番分かっているのは、1番身近にいたのは親でも友達でも上司でもない、あなた自身であることを自覚しましょう。

自分自身の価値は自分で決めてもいい

そのものの価値を自分で自由に決めることができる。例えば、スーパーで並んでいる商品の値段を自分で決められるような感覚。そんな夢のようなことが存在するのです。

誰にも干渉されず、好きに価値や意味を決められるものそれは「自分自身」です。

ならば高く見積もってしまったほうがいいではありませんか?傲慢すぎると思うかもしれません。そんな価値は自分にはないと思うかもしれませんね。

しかし、高くしたところで誰も文句は言えないのです。もし何かケチをつけてくる人がいたら、その人自身の価値基準が他人にあるのでしょう。

あなた自身は気にしなくていいのです。あなたが自分自身にしっかりと価値をつけてあげて認めてあげることが、まずは一番に大事なことです。

あなたは生きているだけでもすばらしく価値があるのです。

何のために生きるの?人生の目的を決める方法

「夢を持って生きよう」「生きている目的を作りましょう」「人生をプランニング(計画)しよう」と耳にたこができるほどこんな台詞を聞いてきたことでしょう。

まるで、夢や目的があることが当たり前かのように語られています。そのたびに目的の考えられない自分が悪いのだと責めてしまう人もいることでしょう。

冒頭でもお話しましたが、人間の生きる価値とは生そのものにあるので、生きているそれだけで十分価値があります。

その上で、生きる夢や目的というものは、いわば人生の隠し味みたいなものです。もう十分に完成しているものに、さらに驚きや楽しさを与えるもの、それが夢や目的になります。

ないからといって自分を責め立てる必要などありません。それよりも自分自身を認めてあげること、自分の価値を自らが承認してあげることが大切なのです。

「自分は自分でいいんだ」と他の人の評価に振りまわされないようになってから、じっくりと人生の目的を考えても十分に間に合います。

自分の人生を見つめ、今後をプランニングするのに遅すぎるなんてことはありません。いくつになっても自分の人生をよりよいものにしていこうという心が大切です。

人生にハリを出すためには目的や夢があったほうがいいでしょう。そのために、自己啓発の本やセミナーを見てみると、どこに焦点をあてるべきか分かりづらいことになっています。

ここでは3つだけに絞って、自分がどうしたいかを考えて見ましょう。

1. 人間関係がよくなれば、悩みの8割は解決する

よく人の悩みの8割は人間関係にあると言われています。確かに、他の生物と違い、コミュニティの中で共存する社会性動物なので、常に誰かと過ごしています。

しかも現代はSNSも発達しているので、空間の中では孤独でも、バーチャル世界において人と関わっているので、生きていて誰とも接することがないという人はこの世界にはいないことでしょう。

そうなるとやはり人間関係は人の中で悩みの大部分を占めるのも頷けます。

今、自分自身にある悩みも振り返ってみれば、誰かが関係してくるなんてことはありませんか?あらゆる悩みを解決する前に、まずは人間関係について考えてみましょう。

限られた人と仲良く過ごせればいいのか、たくさんの人と会って楽しく過ごしたいのか、誰との関係を大切にしたいのか、誰と会いたいのか。

こうしたことを紙に書き出して、まずは自分の理想の人間関係を作り出してみましょう。どうしたいか決まれば、あとはそこに費やす時間を多めにしていくと理想の人間関係に一歩近づくことができます。

2. 仕事や学校の中での理想の時間を考える

一生の中で、人間が働いている時間はおよそ3分の1ほどになります。学校も1日あたり約8時間ほど過ごすので、学生も社会人と同じく生きている時間の3分の1は学校にいることになります。

多くの時間を仕事や学校で過ごしているので、そこでの時間が有意義であれば、人生の3分の1は充実しているといっても過言ではないでしょう。

仕事や学校なんてなければいいと思っている方も多いかもしれませんが、今の世の中ですから、全てを捨てるなどなかなか難しいものでしょう。

少しでもその中での時間を有意義にするために、紙に下の3つのことを書いてみましょう。

  1. なぜその場が自分にとって苦しいのかを書き出してみる
  2. その問題を解決した後の理想の状態を書いてみる
  3. 問題を解決する方法をできる限り多く書く

解決方法が見えればあとは実行してみるのみです。最初は勇気が必要かもしれません。しかし、それを乗り越えた後には今よりも充実した風景が広がっているはずです。

3. 自分のやりたいことリストを作り、人生を楽しむこと

人生にハリをもたせる3つ目のエッセンスは、自分のやりたいことを思う存分することです。

ただ毎日を過ごしているだけではいずれ疲れ、また気持ちが下がってしまいます。そうしたことにならないように、どれだけ忙しくても自分の楽しみの時間を持つことは重要です。

もし何でもできるほど自分にお金や時間があるならば、何をしたいですか?それをできる限り紙に書いてみましょう。

全部書き出したら、手をつける順番を決めましょう。1銭もないのに高級ホテルに泊まるのは難しいことです。できることからやってみましょう。

1つ1つ行い、また何かやりたいことが思いついたらリストに追加していくと人生はより楽しいものになります。

人生は常に学ぶ学校である

目の前にテストがあるとします。1問だけ間違えてしまいました。それを答えることができれば100点満点です。そして、その問題はもう少し勉強すれば解けそうな問題です。

そうした場合、多くの人は「もう一度、解いてみようかな」と思うでしょう。

人生も同じものです。誰にでも間違いはあるし、間違えたらもう一度考え直せばいいのです。そうして、少しずつ答えを探し、自分の理想「100点満点の人生」に繋げていくのです。

失敗の1度もない人は、何が自分にとって嫌なものか間違いなのかが分かりません。そうなると自分の理想の人生は作れないままです。

今、あなたの目の前にあるのは大きな大きな壁。しかし、それは自分にとって嫌だと思うものです。つまり、その壁を乗り越えていけば、自分の理想が待っているでしょう。

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