死にたくなったら、どうすればいいのか。
それは今すぐ死ぬべきではないということです。
自分なりに色々と考えて、答えを模索しているところだと思いますが、それでも最終的にたどり着くものは「今死ぬべきではない」ということです。
「死にたくなった」「死にたい」そう思った原因は一体何でしょうか。
今の時代、死にたいと思えるきっかけなんてどこにでもに転がっていますからね。それは、仕事のことかもしれないし、恋愛や人間関係に何かあったかもしれないし、お金の問題かもしれない。
もしかして、自殺を考えた原因は自分のこととは関係ないなんてこともあります。
あなたにはあなたの人生がある
最近では、三浦春馬さんや木村花さんのように、有名人が突如自殺してしまうことも少なくありません。
自分にとって大切な人が亡くなった時、「私も死んでみようかな」「僕も死にたくなったな」と考えてしまう人も多くいるようです。
人の死というものは、その人だけではなく、周囲の人にもとてつもない影響を及ぼします。
人が亡くなったという喪失感が、本来あるはずの自分と他人との境界線を一時的に破り、同じように死に追いやることもあるのです。
「死にたい」という気持ちは伝染します。
もし身近な誰か、好きだった誰かが死んだことによって、自分も死にたくなったり、自殺を考えているのであれば一度立ち止まってください。
それはあなたの本当の気持ちではありません。
人から移ってきたその「死にたい」という気持ちに悩まされているだけです。
他人には他人の人生、自分には自分の人生があります。自分の人生を生きること。それがまず自分に必要なことです。
死にたくなった、死にたいと思う人には真面目な人が多い
「死にたくなった」「死にたい」と思う人の中に、命を粗末にし、何も悩まずすぐに捨ててしまおうなんて考える人はいないでしょう。
自分の「生」や「死」について考えに考え、悩んでいるからこそ、今こうして迷ってしまっているのだと思います。
それはあなた自身が、命についてとても真面目に考えている何よりの証拠だと言えます。
優しく、真面目に人生を生きてきたからこそ、今とても深い悩みに嵌って(はまって)しまったのだと思います。
そんなあなたが命を捨てる必要なんてありません。今はゆっくりと休み、身も心も回復すればきっとまた前に進むことができますよ。
人は死んだらどうなるの?
「死にたくなった」と悩んでいる人に真面目な方が多いからこそ、こんな質問が多く聞かれます。
それは「人は死んだらどうなるのか?」という質問です。この点に関して、まずはスピリチュアル(霊的)な面から説明していきます。
最初に、人は死んでもすぐには天国にはいかず、現世を何日か彷徨い、やがてあの世に向かっていきます。
これは死んだ人が自分の死について受け入れるまで時間がかかるためです。
そうしたことに伴い、日本で行われる葬式は、故人が天国に行くまでの時間に合わせてあります。
日本には、身内が亡くなると、その後少なくとも3年、長いときには数十年も死者を弔う風習があり、これは仏教伝来思想の1つといわれます。
「初七日(しょなのか)」は、故人が亡くなった日を入れて7日目にあたる日。この日には死者がお花畑を渡って三途の川にたどり着く日というとなります。
死者は亡くなってから49日間、いわゆる「四十九日(しじゅうくにち)」はこの世とあの世の狭間で成仏できずにいるとされ、成仏させるためには親類縁者の祈りが大切とされてきました。
だから四十九日の法要は「死者が安らかに天国へ召される特別な日」ということになっているんですね。
「百箇日(ひゃっかにち)」は、死者が新しい仏としてこの世と別れ、天国で安住の地を求める日とされます。こうして死者を天国へ送ることにより、親類縁者の祈りはほぼ達せられると考えられています。
約100日の時を経て、私たちの魂は現世からあの世へ無事渡ることができるのです。
日本では三途の川。海外では天からの光。
「天国に行く前に、大きな川があり、現世での行いによってその渡りやすさに変化がある」
その川は三途の川といい、誰しも名前を聞いたことがあるかと思います。
日本ではそうした三途の川やお花畑を一説として唱えますが、海外では天からの光、家族からの呼びかけなどを死後の世界だとする風潮が主流です。
「自分が死ぬとどうなるか」
その問いに対して「死んだら川があり渡らなければいけない」と話す宗教も多いかと思いますが、それが絶対解ではなく、あくまでそうした意見もあるよという程度に留めてください。
海を渡れば答えが違うこの問いに対して、正しい答えを知る人は存在しないのです。
死について考えるのは当たり前で自然なこと
いろんな人の「死」についての考えを傾聴していくと、それぞれ何かしらの回答は出てくるものです。
今のところ「死について考えたこともない」という人は見たことがありません。それくらい世間一般的に「死ぬこと」について考えるものです。
「死にたくなった」と考えた時、「自分は何を考えているんだ」「そんなこと思うのは自分だけだ」と思ってしまうことはありませんか。
しかし、そうした「死ぬ」「死にたい」と思うことは自然であり、自分の考えが変なわけではありません。
そうした「死」に対しての想いは、心の中にためるのではなく、誰かに話してみるのが一番です。
他の人の「死」に対しての考えを聞けば、何かしら良いヒントをもらえるかもしれませんし、何より話すことで心の中はスッキリと軽くなるものですよ。
あなたは孤立なんてしていません。その気持ちはみんな一緒なのです。
死にたくなった、死にたいと思う人の特徴
人は「死にたくなった」「死にたい」と思うようになった時、心身には次のような状態が起こっているようです。
「死にたくなった」時の特徴
- 体を動かせない、とても重たい
- ボーッとすることが多い、気がつけば手を止めている
- もう一人の自分がいる気がする
- 自分を責めるようなことが多い
- 何もやる気が起きない
- 寝る時間が短くなる
- ここに自分がいないような気がして気持ちが悪い
- 生きていることに居心地の悪さを感じる
- ふとした瞬間に「こうしたら死ねる」と考えてしまう
つまり、「死」を考え始めた時、これらを解消するように行動すればまた元気になる可能性があります。
死にたくなった時の対処法
死にたくなった時、まとめると次の3つを守ることが今あなたに必要です。
- ゆっくりと休むこと。無理にでも横になったり睡眠を取る。
- 自分を責めることをしないこと。
- 自分を認め、「よくがんばったね」と褒めてあげること。
今、あなたの体からまるで魂が抜けて、自分が自分でない感じを受けているかもしれません。
その魂を戻し、気持ちの悪い感覚を無くしていくためには、少なくとも上の3つのことは少しずつ行っていきましょう。
さらに死にたくなった時の対処法を書いておくので、是非確認し、自分に合ったものはあるか試してみてくださいね。
短くて心に響く良い言葉にたくさん触れてみる
死にたくなった時に、頭の中はぐちゃぐちゃで全然働かない状態になっています。
そんな時、哲学や自己啓発の本を読んだとしても長すぎる文章が頭に入らず、余計に整理のつかない状態になってしまいます。
しかし、何も言葉に触れないと、ネガティブな考えだけが浮かんでしまいます。
今の私に必要なのは、シンプルで心に響く言葉。例えば名言集とかでもいいでしょう。
そうした言葉をたくさん入れることで、ネガティブな考えから抜け出すきっかけを作ることができます。
他者の言葉はあなたの元気の源です。
好きな本を斜め読みしてみる
死にたくなった時、何もしたくないと無力感に駆られることがあるかと思います。もちろん、何か無理して取り組むのではなく、ゆっくり休むことが大切です。
しかし、ずっと考え事をしていても悪い考えばかり浮かんでしまいます。
そこでお勧めしたいのが読書です。読書であれば横になっていてもできますからね。
また知識に対してとても貪欲になっています。特に「死」についての言葉はとことん調べたり知ろうとする意欲があることでしょう。
それはとても自然なことです。私たちの体は、常に今の自分に一番必要なものを吸収しようとしています。
それが今は「死」「生」と言ったことに関しての知識ということだけ。
実に普通の反応です。頭も疲れているので、読んでも読んでも頭に入らないかもしれませんがそれでも大丈夫。
今、得ている情報はいずれ元気になったときに、あなたの活力にもなります。
自分を責めないこと
「死にたくなって」くると自分のあらゆる細かいことが気になり始めます。
本来の症状とは関係のないことも病気か何かだと思ったり、特に問題のないことでも自分の問題だと追い込んでしまいます。
それは反省を通り越して自虐や自責。今だけではなく、過去のことも引っ張り出してきて「僕(私)だからこんな結果になって当然」「全部自分が悪いんだ」と。
またそうやって自分を責めてしまっていることも、自身を悪く思ってしまう原因にもなってしまいます。
そうした負のループから抜け出したいという方はたくさんいると思います。
今、自分の目の前にある問題のほとんどは気にする必要のないものですが、「気にするな」と言っても気になってしまうことでしょう。
そう考えてしまうのも、もはや仕方ありません。今の思考は時間が解決してくれるので、ゆっくりと休みながら待ちましょう。
「大丈夫、必ずよくなる」そう頭に呟き、休憩しましょう。
僕もそこから抜けた身ですが、元気になるとあれこれ悩んでいたものが別にどうでもいいことだったと思えるようになります。
他人の言葉に耳を傾けること
読むことにも疲れを感じてしまう時があります。そんな時は音也声に耳を傾けてみるといいでしょう。
寝ながらで構いません。ベットに横になりながらモーツアルトを聞いても、オーディオブックで稲盛和夫の生き方を聞いてもいいんです。
どんな格好でも聞き易ければそれでいい。いろんなものに耳を傾けるうちに、自分の心にじんとくる力の源になるようなものがきっとあります。
今は自分の中に自分がいないような、または別の自分が存在しているようなそんなフワフワしている時期です。
「自分」というものを取り戻すために、気になった言葉があれば心の中で反芻したり、何度も口に出してみてもいいでしょう。
音楽であれば繰り返し聞いてみるとか。いろんな感性に触れることで、自分が固まっていき、前と同じような感覚を取り戻すことができるでしょう。
とにかく寝ること、寝るフリでもいい
「死にたい」「死にたくなった」と考えている時、睡眠時間が短くなっているように感じませんか。
または、いつもと寝る時間が違ってきて、昼夜逆転していることもあるでしょう。
「死にたい」「死にたくなった」と思う時は、ガソリン車で言う、ガス欠で赤色のマークが点灯している状態だと考えてください。
その状態で頑張って走っても惰性で動くだけで、そんなに遠くまでいけませんし、いつかは完全に止まってしまいます。
そんな時、車と私たちの大きな違いはすぐにエネルギーを補給し、動くことができるかどうかです。
頑張りすぎちゃって、心や脳の元気が枯渇した時に私たちはそこにエネルギーを戻すために、かなりの時間が必要です。それは人によって異なりますが1年以上という非常に長い時間がかかる人もいます。
心や脳に元気がなくなった時、私たちはほとんど何もできません。そうならないためにも、「休む」ということに躊躇しないようにしてください。
安心して自分を出せる場所を見つけてみる
「死にたくなった」と誰かに話したことはありますか。
「死」について考え始めて、悩んだり、自分を責めている人の多くの特徴に、自分の思いを誰にも相談できない・素直に出せないということがあります。
そうした話せないというストレスはどんどん溜まっていきます。
ストレスは私たちの心や体を蝕んでいくので、そこから守るために「自分」という存在を切り離す(解離させる)ことがあります。
それは、自分なのに自分じゃないものが存在しているような感覚です。ポカリと心に穴が空いた気さえします。
元気になるために必要なことは、まず離れていった「自分」を取り戻すこと。
そのためには、「もう一人の自分」を素直に出し、認めてあげられる場所を見つけること。
そうすることで、溜められたストレスは発散され、自己帰化することができます。
頑張りすぎないこと
心が疲れている時は頑張りすぎてはいけません。
しかし、そうは言っても「全然頑張れてない」「もっとできている人はいるし自分はまだまだ」と自分を下げる人もいるでしょう。
そうした思考になっている時、実は「頑張りすぎている」という状態だったりします。
心はとても疲れているのに、そのあとも根詰めて学業や仕事などに取り組んでしまうと、どこかの瞬間で糸が切れるように一気に気持ちが沈んでしまうことがあります。
それはうつ病にも近いものです。うつ病になってくると体も元気ではなくなり、動けなくなる日も出てきます。そうなる前に休息が必要なんです。
だからこそ、素直に休みましょう。
休むことで心配な点も色々とあるかと思います。でもそれらは後からどうにでもなることだったりします。今は、心と体を第一に考えていきましょう。
SNSを使ってでも人と繋がる瞬間をもつ
「死にたくなる」時、ふと思い返すと自分一人だけ仲間外れにされているような気がしませんか。
ひとりぼっちの感覚があったり、寂しいという気持ちが強すぎて死にたくなったのかもしれません。そうした時に、実際に人に会いにいくのは大変だったり。
今の時代はSNSが発展しているのでそうしたところで、心の居場所、精神的に支えてくれるような存在を見つけるもの良いかと思います。
呟いた時に「いいね!」「フォロー」と自分のことを認めてくれるような人がいるだけで、心は少し軽くなるかもしれません。
ただし、SNSに依存しすぎて疲れないように適度に使っていきましょう。
死にたくなったら今は休んでください
「死にたくなったら」すべきこと、それは「休むこと」です。
やるべき仕事があるかもしれません。でも、休んでください。
学習・勉強しなきゃいけないことがある。それでも休みましょう。
やらなきゃいけないこと、行かなきゃいけないところ。
人、会社、学校。色々あるかと思いますが、断りましょう。
全てはあなたの心を休めるために。
「ちょっと今はいっぱいで」「限界です」と素直に伝えましょう。
大丈夫、あなたは決して悪くない。
今は休んで、元気になった時に待ってくれた人たちにたくさん返してあげればいいのです。
そうやって支え合える関係こそ、人間だと思います。
死にたいと感じているときは、体を休ませてあげること。
なぜ「死にたい」「いなくなりたい」「辛い」と考えてしまうのでしょうか。死にたくなった自分を責めてしまいませんか。
あなた自身が悪いということは決してありません。
死にたくなった時というのは、体が素直に休みたいと言っているのです。
体は素直です。無駄なことは一切しません。
風邪をひいたら熱が出るように、心が疲れたら「死にたくなって」しまうのです。
何にも興味が湧かなくなったり、何も感じなくなったり。
頭が常にボーッとしたり、ぐちゃぐちゃと色々考えてしまったり。
疲れが取れなかったり、なんか声が聞こえたり。
何もできない、人にも会いたくない。話したくもない。
それは全部、あなたの心が疲れて休みたいと、あなた自身に伝えてきているのです。素直に心の声を聞いてあげましょう。
自分は世の中にいなくていいのかな。
生きてもよい事がないじゃないかな。
田村様
コメントありがとうございます。とても嬉しいです。
私も同じようなことを思う時があります。
「自分はこの世に必要ないんじゃないかな」「むしろいない方がいいのかも」と。
いろいろ悩んで気がついたことが1つあります。
それは、例え自分が消えたとしても、世界は変わらず今日と同じように動き続けることです。
自分はいてもいなくても、ほとんど何の影響もしないのです。
これはどんな有名人が死んでも同じことです。
例えば、かの有名なスティーブ・ジョブズやマイケルジャクソンが亡くなった時も、
悲しむ人は多くいたかもしれませんが、世界は滅んだりすることなく、今も回っています。
人間一人の死に、それほど大きな意味はないです。
これは言い換えれば、他人は自分に対してそれほど興味を持っていないということです。
だからこそ、気負わなくてもいいんだと思います。
嫌なことばかり続くと、周囲の目が気になったり、他の人と比べたり、
自分だけこの世界で一人不幸なのかもと思うかもしれないです。
でも実はそれってみんなそう思ってて、幸せな人と不幸な人の境目はないと思います。
世の中は幸せになることを強要してくるかもしれませんが、幸せという定義は曖昧で、
だからこそ、幸せにならなきゃと焦らなくていいかと思うのです。
美味しそうと思ったものを食べて、綺麗と思ったものを見て、聞きたいと思った音を聞いて。
そう過ごすだけでも十分なのかなと思い、私は最近過ごしています。
宝くじが当たったとか、恋人ができたとか、そんないいことは全然ないのだけど、今はそれでいいのかなって。
生きていなきゃとか、幸せでいなきゃとか気負わず、田村様も今を過ごしてもらえたらと思います。
ありがとうございます。
少し心が落ち着いてきました。でも、明日の仕事が始まれば発作的にまた、死にたくなると
思います。正直、昨日までどんな死に方が良いか考えていました。
家族も最近の私の行動でかなり心配していますが、どうすることもできません。
藤村様
返信が遅れてすいません。
少し落ち着いた時もあったと聞いて、うれしく感じます。
どうかひと時の穏やかな波のさざめきが、少しでも長く続きますように。
私も家族や友人に心配されたことがあります。
そんな時、心配をかけたくなくて無理に笑って「大丈夫だよ」なんて言ってみたり。
挙句の果てに、駅で電車をぼーっと待っている時に「大丈夫ですか?」と知らない方に声をかけられたこともありました。
人間不思議なもので、そういう弱っている時に頑張ろうとしても、むしろより悪い考えが浮かんだりする生き物みたいです。
きっと「頑張ろう」が「頑張らなきゃいけないんだ」「心配かけちゃいけないんだ」というプレッシャーになっていて、それが私自身をより追い込んでいたんだと思います。
人間の心は海のようなものなのかなと最近思います。
荒れ狂う大波の時もあれば、穏やかな日差しとともに静かな波音の時もある。
そうした波の動きは人の手ではコントロールすることができないように、心もまた思い通りに動かすことはできないのではないかなと思います。
なので私はその流れに逆らうことなく、荒れてしまう時は静かに休むことにしています。
そうすれば、やがてまた落ち着く時があることを信じて。永遠に荒れている波を、私は今まで見たことがありません。いつかは小波になり、やがて静まるのです。
もちろん生活もあるので、お仕事もする必要が出てくると思います。
私は心に余裕がなければ、もうできるだけ早く帰ることにしています。仕事が残っててもです。
その仕事はまた元気な時に、少し余裕がある時にやればいいのかななんてのんびり考えながら。
「心の波に逆らうことなかれ。」
私はそう考えてその時々を生きるようにしています。参考になれば幸いです。